ドラちゃん、またおいで!
2005年 05月 24日
当家の長老ネコのドラちゃんが、5月10日(火)の夕方、天国に旅立ちました。数えてみたら、以前住んでいた品川区中延の賃貸マンションの近くでうろうろしていた彼に出会ってから(注1)、すでに9年の歳月が流れていました。享年(推定)15歳。
かつてのノラ暮らしがたたったせいか、ドラは数年前からすでに腎臓を患っていました。それでも、食欲がなくなるたびに手を替え品を替えしながら出したキャットフードや刺し身をよく食べながら、亡くなるほんの数日前までは元気に暮らしていました。
しかし、この数ヶ月間でドラの足腰はかなり弱り、身体も細くなっていましたので、私たち夫婦も、「その日」が来るのはそれほど遠くないだろうと覚悟していました。
ドラはその数日前から、いつもは入らない風呂場に入っては、そこにぼうっと座っていました。ベランダに連れて行っても、あれほど好きだった日なたぼっこもしないで、そそくさと帰ってきました。さすがはネコだけあって、自分の命がまもなく尽きることをドラは知っていたのでしょう。
食欲も急に落ちましたが、そこはグルメのドラのこと。いつものネコ缶は食べなくても、大好物のマグロやアジの刺し身はおいしそうに食べてくれました。それも口にしなくなったので、ドラが食べたことのないシャケを家内に焼いてもらうと、それはハグハグと食べてくれました。もうこうなったら、食べてくれるものを食べさせるしかありません。
亡くなる前日にはいよいよ水も飲まなくなったので、これはもういけないと思い、かかりつけの獣医の先生のところに連れていきました。腎臓が悪いネコに特有の症状として、ドラはこれまで、水をよく飲むことで身体のバランスをとってきました。現在の医療では、ネコの腎臓は元に戻せません。水を飲まなくなると、やがて尿毒症に陥り落命することは前から聞いて知っていました。
先生は「ああ、骨と皮だけになっちゃったね。痛くない注射をするからね」と優しくドラに言いながら、私たちにこう説明しました。「ネコが冷たいところに行きたがるのは、もう先が長くないということなんです。心臓の音も元気なころの半分くらいに弱っています。すでにお気づきだとは思いますけど…」
私たちはドラを連れて帰り、住み慣れたこの家から旅立たせてあげることにしました。ただ安らかに逝ってくれることだけを祈っていました。家に帰ったときには与えた砂糖水をぺちゃぺちゃと飲んでいたドラでしたが、その翌朝、1階奥の薄暗い静かな和室に這うように入ると、そのまま畳の上で深い眠りにつきました。
2階で仕事をしていた私は、30分おきにドラの様子を見に行きました。すでに口に水をつけてもなめようともしないドラは、そっとしておいてあげるのがいいでしょうと先生にも言われていたので、ただ見守るしかありませんでした。何度目かに見に行ったとき、ドラがとても幸せそうな笑顔を浮かべていたのが救いでした。その日の夕方、ドラは苦しんだ様子もなく、そのまま静かに息を引き取りました。
ドラの長い体が入るような段ボール箱をようやく見つけた私は、その中に彼の亡骸を横たえました。家内と義母が庭で花を摘んできてくれました。(火葬にするので本当はいけないのですが)そのほかに、若かったころドラが愛用していたプラスチック製のネコジャラシとスティック状の袋に入ったドライフードを2本ずつ入れると、箱のフタを閉じました。
その翌朝。ペットの供養をしてくれるお寺の車がドラを迎えに来てくれました(注2)。宅配便のドライバーのような制服を着たお兄さんが玄関先で「お預かりします」と言ってくれました。でも私は「見送りに行きたいので…」と言って、最後にもう一度ふたを開いてドラにお別れを言ってから、その棺を自分の手で車に運びました。
走り去る車を見送りながら、家内も私も心の中で同じような言葉をつぶやいていました。
「ドラちゃん、またおいで!」
「またどこかで会おうね、ドラちゃん!」
9年前、大きな身体を揺らしながら私たちの家に上がりこんできたドラは、そのときと同じように悠々と旅立っていきました。数え切れないほどの思い出と、心の中にぽっかりと大きく空いた穴を私たちに残して…。
【参考】
(注1) 寄稿「ドラのお仕事」(2000年当時、元気だったころのドラの話)
(注2) ドラが眠る慈恵院(府中本山)のホームページ